ベルトラン、ジョーンズ、ケントが殿堂入りの瞬間を振り返る

July 28th, 2026

カルロス・ベルトラン(49)、アンドリュー・ジョーンズ(49)、ジェフ・ケント(58)は過去に同じユニホームを着て、オールスター選出やゴールドグラブ賞の栄誉を共有してきた。そして今回、野球界で最も選ばれし集団である354人の仲間入りを果たした。

「ルーキーの頃は、デーブ・ウィンフィールドやエディ・マレーらには近づかなかった。関わりたくなかったからだ」とケントは27日(日本時間27日)、MLBネットワークのジョン・モロシ記者に語った。

「今では殿堂入りメンバーの夕食会で中に入り、強く抱きしめて『兄弟、これで同じクラブの仲間だ』と伝えている」

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殿堂の公式ポッドキャスト番組「ザ・ロード・トゥ・クーパーズタウン・ライブ」のの収録で、2026年の殿堂入りメンバーが観客を前にダブルデイ・フィールドに登場し、モロシ記者とこれまでの経歴や殿堂入り週末の経験について語り合った。

早朝のレリーフ設置について「母と父が隣に立つことができた」とケントは語る。

「壁に飾られるまでの道のりや歩みを数秒間かみしめる。永遠に残るレリーフとして壁に飾られるとは信じていなかったので、家族とその瞬間を迎えられたことは素晴らしい経験だった。まだどう説明していいか分からない。これから時間をかけて整理していく必要がある」

ベルトランは、クーパーズタウンでの栄えある週末にたどり着くまでの数千マイルにおよぶ道のりを振り返った。

「プエルトリコで育ち、殿堂入りするまでにたぶん3回はクーパーズタウンに来た。すべての部屋やホールを回り、野球の歴史やプレーしてきたすべての選手を感じた。今度は自分のレリーフがその壁に飾られるというのは信じられない気分だ」

ファンも同様の距離を移動し、球界で不滅の存在に加わる瞬間を見守った。ベルトランは、殿堂入りのためにクーパーズタウンへ駆けつけたプエルトリコのファンから、歓声と丁寧に装飾された横断幕による後押しを受けた。

ジョーンズのファンにとっても、この週末は同様に特別な意味を持つ。ジョーンズはキュラソー出身として初の殿堂入り選手となり、オランダ領カリブ海地域を代表する存在となった。

キャリアのハイライトを振り返る中で、3人の話題は2004年のペナントレースに移った。同年のナ・リーグ優勝決定シリーズではベルトランとケントがアストロズで活躍しており、当時の出場選手から6人が殿堂入りを果たしている。

2004年に通算5回のオールスター選出のうち4回目の選出となったアストロズの二塁手ケントは、チームのプレーオフの戦いでベルトランが試合展開を大きく変える存在だったと評価する。

「中堅を守り、バットを振り、塁を駆け回り、堂々とした存在感とともにチームに加わってきた」と2004年のシーズン中にアストロズへ移籍したベルトランについてケントは振り返る。

「スピーチでも触れたが、同世代で最も完成された選手だった」

2004年のシーズンは、7度のポストシーズン進出を含む20年のキャリアにおいて、ベルトランにとって初のプレーオフ出場となった。同じく中堅手のジョーンズは、1996年に19歳で10月の戦いを経験し、ブレーブスで自身初のワールドシリーズに出場した。

そのシリーズの第1戦で2本塁打を放ち、ジョーンズはMLB史上4人目となる、ワールドシリーズ初出場試合での2本塁打を達成した。

1996年当時の自身について、ジョーンズは「若く、無知で、興奮していた。あの場にいられたことに感謝していた」と表現する。

「(ブレーブスのボビー・コックス監督は)自身が求めるものを分かっていた」とジョーンズはモロシ記者に振り返った。

「右打者をラインナップに入れたいと考え、私に賭けた。私はグラウンドに出て、その機会を生かした」

「マイナーリーグの選手たちとよく話をする。常に伝えている重要なことは、与えられる1度の機会を生かすということだ。その機会がいつ巡ってくるか分からないからだ」

殿堂入りした新たな3人は、次世代の選手たちを鼓舞するという共通の情熱を抱いている。ベルトラン、ジョーンズ、ケントの3人はそれぞれ、野球の未来と青少年スポーツを振興するための取り組みを振り返った。

ジョーンズは野球への恩返しを通じ、母国の活気ある野球文化をさらに発展させてきた。

「キュラソーのスポーツは常に野球だ。だから野球選手として、子供たちに目標を与えるために、常に島へ恩返しをしている」

「毎年、4人の子供たちを米国へ呼び、卒業させ、教育を受けさせるようにしている。それに注力しており、全員が自分の足跡を少しでもたどってくれることを非常に誇りに思う」

ベルトランも同様の教育への熱意について言及し、プエルトリコのカルロス・ベルトラン・ベースボール・アカデミーにその情熱を注いでいる。

「15年前に高校を設立し、800人以上の子供たちを卒業させてきた。子供たちの学習意欲を高め、野球を自己教育の基盤として活用できると理解させるために、この高校を設立した」

ケントと妻のダナもスポーツを活用して次世代の教育に尽力しており、ケントが一般入部で野球をプレーしたカリフォルニア大バークレー校に、奨学金基金を設立した。

二塁手として出場試合の75%以上に出場した全選手の中で最多となる通算1518打点を記録した「打点王」は、1998年にこの奨学金を設立し、自身の1打点ごとの寄付と企業からの資金を合算させた。

「壁のレリーフのように、それは永遠に残るだろう」とケントは胸を張る。

次世代の選手を育てることは、新たに殿堂入りを果たした3人に共通する情熱でもある。ベルトラン、ジョーンズ、ケントはそれぞれ、野球や青少年スポーツの未来を支える活動について語った。

ジョーンズは野球界への恩返しを通じ、母国キュラソーに根付く野球文化の発展に力を注いできた。

「キュラソーでは昔から野球が盛んです。だから野球選手として島に恩返しを続け、子どもたちに目標を与えたいと考えています。毎年、4人の子どもを米国に招き、学校を卒業して教育を受けられるように努めています。それが私の活動の中心です。後輩たちが少しでも私と同じ道を歩んでくれていることを、本当に誇りに思います」

ベルトランも教育支援に力を入れており、プエルトリコに設立した「カルロス・ベルトラン・ベースボール・アカデミー」でその思いを実践している。

「15年前に高校を設立し、これまでに800人以上が卒業しました。子どもたちに教育の大切さを伝え、野球を自分自身の学びにつなげる手段として活用してほしい。その思いが、この高校を設立する原動力になりました」

ケントも妻のデイナさんとともに、スポーツを通じた次世代への教育支援に取り組んでいる。一般入部の選手として野球部に所属したカリフォルニア大学バークレー校に、女性を対象とする奨学基金を設立した。

ケントは1998年に同基金を創設。企業からの寄付金に加え、自身も打点数に応じた金額を寄付した。ケントは通算1518打点を記録し、出場試合の75%以上で二塁を守った選手では歴代最多を誇る。

「壁に掲げられる殿堂入りの盾と同じように、この基金も永遠に残り続けます」

ケントはそう語った。

執筆者のアビー・デンプシーは、米野球殿堂のリーダーシップ育成を目的とした「フランク&ペギー・スティール・インターンシップ・プログラム」で2026年の広報インターンを務めている。