日本とアメリカ、野球ファンにとって夢のような時代

March 16th, 2025

スーパースター級の選手たちがずらりと並ぶ、カブスとドジャースのロースター。このMLBシーズン開幕戦東京シリーズは特別な試合になるすべての瞬間から目が離せない。

野球の歴史は、アメリカと日本をつなぐ物語だ。

150年以上にわたり、このスポーツと偉大な選手たちを通して、両国は深い絆で結ばれてきた。

1873年、学校の教師ホレース・ウィルソンが来日し、熱心な学生たちに野球を教え始めた頃、未来に起こる出来事を予測できた者は誰もいなかった。ノストラダムスでさえも、その後数十年の間に何が起こるのか、予測することはできなかっただろう。

メジャーリーグベースボールの新たなシーズンの幕開けとともに、一生に一度しか味わえない試合が、今ここで開催される。

東京ドームに、ワールドシリーズチャンピオンのドジャースが来る。唯一無二の才能を持つアスリート、大谷翔平。時代を代表する2人の投手、佐々木朗希と山本由伸。日本のスーパースタートリオがチームをリードする。

一方、伝説的な野球チーム、カブスには、日本プロ野球のオールスターに5度選出された鈴木誠也や、変化球の名手であり、名言を次々と生み出す今永昇太がいる。今永は、アメリカのルーキーシーズンで、初めてMLBオールスターゲームに出場したばかりだ。

メジャーリーグの試合は、これまで何度も日本で開催されている。日本とアメリカで野球殿堂入りを果たしたイチローも出場した。しかし、ここまで多くの日本のスター選手が一堂に会する試合はなかった。メジャーリーグのロースターに日本の選手がいること、また、日本のプロ野球チームにアメリカの選手が在籍することが、これほどまでに当たり前で、ましてや期待されることとはかつて考えられていなかった。だが、今やどのロースターを見ても明らかなように、野球はまさに世界的なスポーツへと進化している。

これは東京ドームで行われるメジャーリーグの試合としては、最もスター選手が集まる試合になるかもしれない。しかし、野球熱の高い両国間が連携するのは、これが初めてではない。

ウィルソンが日本で野球を広めた後、早稲田大学の野球部は1905年にアメリカのスタンフォード大学を訪れ、アメリカ流の野球を学んだ。(日本野球機構公式ヒストリアンである伊藤修久氏の新たな研究によると、ウィルソンの来日以前に、大阪近郊で野球が行われていたという説もある)

選手たちは、アメリカ西海岸を南北に旅する中で、「ワインドアップ、変化球、スパイクシューズ、走者やベースコーチの走塁技術、スクイズ、打撃と守備の練習法」など、新しい情報を得たと伊藤氏は語る。それだけではない。早稲田大学の選手たちは、大学のマーチングバンドの集団応援や音楽から発想を得て、帰国後にそのアイデアを取り入れた。これが、日本の応援隊、いわゆる「応援団」の始まりであり、太鼓やホルンが鳴り響く独特な応援歌は、日本での試合観戦の象徴となった。

野球の考え方やプレースタイル、さらにはファン文化までもが交流され、瞬く間に発展、進化していった。アメリカのチームも、1907年にはセントルイスの大学の卒業生たち(ハワイがアメリカとして認定される51年前のホノルル・ベースボール・リーグ優勝チーム)が日本を訪れた。その後、大学やプロのチームを含め、100以上のアメリカの野球チームが日本へ渡り、「日米野球」として知られる交流戦を行った。

「“Nichibei” とは日本とアメリカを表す漢字の頭文字に由来する」「“Yakyu” とは日本語でベースボールを表わす言葉である」と日本の野球ヒストリアン、ロブ・フィッツ氏は記述している。

これらの日本遠征が、野球への共通の思いを育み、2つの国を結ぶ架け橋となった。そして集大成といえるのがベーブ・ルース率いる「オール・アメリカンズ」の来日だった。伝説的な存在であったルースの圧倒的なカリスマ性は、全国で開催された19試合で大勢の観客を動員し、スタンドに向かって豪快なホームランを放つ彼に、何千人ものファンから大歓声が沸き起こった。2002年、仙台市の八木山動物公園には、ルースが日本で初めてホームランを打った場所を記念して、彼の銅像が建てられた。伝説は今もなお生き続けている。

ルースの来日から約30年後、村上雅則が日本人初のメジャーリーガーとなった。当初の計画では、彼と2人のチームメートがジャイアンツの春季キャンプに参加し、アメリカ野球のトレーニング手法を学ぶ予定だったが、村上の投球は旋風を巻き起こした。彼はフレズノのマウンドで輝きを放ち、マイナーリーグの球場で開催された「ジャパニーズ・アメリカン・デー」で表彰されるほどの人気を博し、その年の秋にはメジャーリーグに昇格した。

「(日本)プロ野球創立以来30年の努力の末、我々の夢が実現した」と、『週刊ベースボール』の記者は当時の記事に書いている。また、野球史上最も偉大なホームラン打者の2人、華麗なスイングでメジャー通算755本塁打を放ったハンク・アーロンと、868本の本塁打を放った王貞治は、ライバルとしてではなく野球の親善大使として共に歩んだ。彼らは1990年に「子どもたちの友情を育み、国境のない世界をつくる」ことを願い「World Children’s Baseball Fair(世界少年野球大会)」を始めた。

この大会は2人の伝説的な打者のレガシーとして、現在も毎年夏に開催され、世界中の子どもたちにスポーツを楽しむ機会を提供している。

そして今、日本のスター選手たちがメジャーリーグに挑戦し、輝かしい活躍を見せている。野茂英雄が巻き起こした「ノモマニア」、イチローがシーズン最多安打記録を更新し、そして大谷翔平が、かつては達成どころか、想像することさえ不可能と思われていた1シーズンでの50本塁打と50盗塁を達成した。

一方で、MLBの選手たちも日本へ渡り、視野を広げ、新しいプレースタイルを学んだ。中には、NPB(日本野球機構)の記録を打ち立てた選手もいる。マット・マートンは一時期、シーズン最多安打記録を保持し、ウラディミール・バレンティンは60本塁打のシーズン最多本塁打記録を樹立した。

今は、日本、アメリカ、地球上どこにいても、野球ファンにとって「夢のような時代」が訪れている。

1990年代半ばの「ノモマニア」から、常識を覆し歴史の教科書を書き換えてしまうような大谷翔平の活躍。タフィ・ローズの豪快なホームランから、マートンのシーズン最多安打記録。そして、大谷がマイク・トラウトを三振に仕留め、WBCの優勝を決めた瞬間から、初めてMLBワールドシリーズチャンピオンに輝くまで。日本とアメリカが共有する野球への情熱は、このスポーツをこれまで以上に、より良く、より輝かしく、より躍動感あふれるものにし続けている。なんて素晴らしい時代に生きているのだろう。

MLB東京シリーズ公式プログラムには限定コンテンツも掲載されています。東京ドーム、宮下公園、スカイツリーで販売中。