ブライアン・バルザー投手(21)にとって、大移動は珍しいことではない。5歳の時に日本からニュージャージー州へ移住し、そこで3年間過ごした後、再び地球の裏側へ戻った。パドレスと契約した後は、日本の横須賀からアリゾナ州へ渡った。プロでの最初の2シーズンはカリフォルニア州レーク・エルシノアからインディアナ州フォート・ウェインへと移り、故郷から実に6420マイル(約1万332キロ)も離れた場所へ到達した。
直近の大きな動きは大陸間の移動ではなく、ランキングの躍進である。パドレスの有望株トップ30で28位から7位へと急浮上し、球団内での成長を強く印象づけた。
バルザーは25日(日本時間26日)、ハイAフォートウェインで5回無失点と好投し、ランキング急上昇の理由を自ら証明した。パークビュー・フィールドで行われたレイクカウンティ・キャプテンズ(ガーディアンズ傘下)戦でティンキャップス(フォートウェイン)が14−4で勝利する中、被安打をわずか1本に抑えた。
有望株ランキングの上位選手の多くが伝統的な過程を経て投手としての評価を確立する中、バルザーの経歴は大きく異なる。実際、マイナーリーグでの歩みは偶然の産物と言える。常総学院高時代は野手として全期間を過ごしたが、1試合の練習試合が野球人生を変えた。
「練習試合で投手が1人もいなかった。ずっと打者専門だったが、肩の強さには自信があった。練習試合だから問題ない。自分が投げると思った」
その試合で1イニングを投げ、スピードガンで96マイル(約154キロ)を計測した。それだけでパドレスには十分であり、投手としてわずか1万ドル(約130万円)で契約を結んだ。バルザーは当時トミー・ジョン手術からのリハビリ中だったため、投球イニングを増やすまでにはさらに待つ必要があった。
リハビリ期間は、バルザーが天性の才能以上に投手として成長する時間を与えたため、結果的にプラスに働いた。
契約直後の時期について「アリゾナで2年間リハビリをしたが、その期間に変化球の投げ方やストライクの取り方を実際に学んだ」と振り返る。
2024年にアリゾナ・コンプレックス・リーグで初めて実戦登板した。昨季はフルシーズンのリーグへ昇格し、1Aレーク・エルシノアで16試合に登板した。投手としての経験が浅く、好不調の波を経験した(防御率7.92)ものの、最終的に50イニングを投げて49三振を奪った。
「投手として最初の年だったので、毎イニングが新しい経験だった」と初めてのフルシーズンについて語った。
COMPLETE PADRES PROSPECT COVERAGE
新しいポジションを学ぶだけでなく、バルザーは全く新しい生活環境への適応も進めていた。慣れ親しんだ規則正しい生活とは異なる環境だった。日本では全寮制の学校に通い、ほぼ毎日が練習で始まり練習で終わる生活。その合間にもさらに練習が組み込まれていた。
「6時に起きてグラウンドへ行き、8時まで練習して学校へ行く。(午後)3時に学校が終わり、3時半から8時半か9時まで練習する。寮で夕食をとり、午後11時まで練習する」と日々のルーティンについて語った。
投球回を重ね、環境に適応する時間も増えたことでバルザーは2026年に本領を発揮している。今季は再び1Aでスタートした後、6月23日にハイAへ昇格した。直近の無失点投球により、ミッドウェスト・リーグでの防御率は3.54となり、被打率.197に抑えている。
「今季はマウンド上で本当に落ち着いていられる。自分のやるべきことが分かっている」と自信を深めている。
