リスクか価値かー球団が恐れるFA長期契約

November 29th, 2025

数年前、グレッグ・マダックスは、同世代の投手デービッド・コーンのポッドキャストで、自分はヤンキースに入団することになると思っていたと明かしている。しかし、1992年12月上旬、ニューヨークを訪れても契約を結べないまま街を後にすると、その帰り道で、野球の歴史を変える1本の電話をかけることになる。

「ヤンキースと契約するつもりで行った」とマダックスは振り返る。

「契約のオファーがなかったことには本当に驚いたよ。長年、断片的には事情を耳にしてきたけれど、誰だったのかまでは分からない。上層部の誰かが心臓発作を起こして、そのせいで自分へのオファーが出なかったらしい」

ラスベガスへの帰路、シカゴでの乗り継ぎで飛行機が着陸すると、マダックスは公衆電話を探して代理人のスコット・ボラス氏に連絡を入れた。携帯電話が普及する前の時代だ。そのとき初めて、アトランタ・ブレーブスからオファーを受けたことを知らされた。マダックスは、優勝を狙える強豪チームでプレーしたいという希望をあらかじめ伝えていた。ブレーブスは直前のワールドシリーズで2年連続の敗退を喫していた球団だった。

1992年12月9日、マダックスはブレーブスと5年総額2800万ドル(約44億円)の契約を結んだ。これは当時、投手として史上最高額の契約だった。近代野球史(1900年以降)で最高の野手とされるバリー・ボンズと、おそらく同時代最高の投手だったマダックスが、ともにチームを移った波乱のオフシーズンを象徴する出来事でもあった。

「これは痛い」と当時ヤンキースGMだったジーン・マイケルは言った。

「こんなことを口にする日が来るとは思わなかったが、2800万ドル(約44億円)なら彼は“掘り出し物”だ」

マダックスは、おそらくフリーエージェントで獲得された投手として史上最高の補強だった。

殿堂入り投手となる右腕は、この契約を結んでから最初の3年でナ・リーグのサイ・ヤング賞を3年連続で受賞した。契約期間中の成績は89勝33敗、防御率2.13(ERA+197)。ファングラフス版WAR(fWAR=勝利貢献の総合指標)でも、5年連続で7以上を記録した。

さらにこの冬は、球史に残る豪華なフリーエージェント投手がそろっていた。マダックスを筆頭にコーン、ダグ・ドレイベック、ジミー・キー、ジョン・スマイリー、クリス・ボジオ、ロン・ダーリングらが市場に出ていた。

当時は今とはまったく違う時代だった。ソーシャルメディアもなく、携帯電話もなかった。そして多くの人にとって、投手は今ほどリスクの高い投資対象とは見なされていなかった。

現在の野球界で投手に負傷が相次いでいる現状は、野球を追いかけている人なら誰もが承知している。

MLBの負傷に関する報告書が詳しく指摘しているように、全力投球の多用や、アマチュア時代から年間を通して投げ続けることなど、さまざまな要因で多くの投手が戦列を離れてきた。近年はトミー・ジョン手術の件数こそ頭打ちになりつつあるが、毎年のようにメスを入れる選手は多い。

マダックスが全盛期だったころと比べると、フリーエージェントの相場も大きく上がり、コストは増す一方だ。

MLBの球団は、先発投手を打順3巡目の前に交代させるケースが多く、その分だけ投球イニングも抑えられている。

多くの関係者にとって、今の先発投手市場は以前より不確かなものに感じられる。今オフの私自身の見立てもそうだった。タレント自体はそろっているが、突出した上位層がいるわけではないという印象だった。

その点については、球団側もおおむね同じ感覚を持っている。

自球団の方針について、あるフロント幹部はこう話している。

「投手には、とにかく4年、あるいは3年以上の契約は出さないということだ」

いまフリーエージェントの先発投手に投資するのは得策ではないという前提には、一つ問題がある。実際には、必ずしも短期間の契約ばかりではない。

私は、契約データが公開されている最初の年である1991年までさかのぼり、すべてのフリーエージェント契約を調べた。FA市場で契約した先発投手の「見返り」が、時間の経過とともにどう変化してきたのかに関心があったからだ。

そのために、1991年以降のオフごとの契約を分析した。例えば、ある投手が2018〜19年オフに5年契約を結んでいれば、その投手は「18年クラス」に入る。そして各クラスごとに、積み上げたfWAR、投球回、獲得した金額を比較した(ここでは契約のうち保証されている部分のみを対象にしている)。

その結果は、おそらく意外に感じられるはずだ。私自身も驚いた。

確かに、1990年代のフリーエージェント先発投手は、WARという点では多くが今より高い成績を残していた。調査対象の中でも、1993年クラス(通算117.85 fWAR、契約23件)いわゆるマダックスのクラスと、1996年クラス(123.49 fWAR、24件)は、累計fWARで上位2位であり、投手1人あたりのWARでもトップ2だった。

1996年クラスには、デービッド・コーン、ケビン・ブラウン、アンディ・ベネス、アル・ライター、チャック・フィンリーらの好成績のシーズンが含まれている。

これらのクラスにはスター投手が多く含まれていたが、当時は先発投手の投球回が今より多く、fWARのような指標は累積値であることも関係している。

それでも、近年のFAクラスにはそれに劣らないものもある。

通算WARの上位5クラスのうち2つは過去5年以内に生まれており(2022年クラスが104.47 fWAR、23年クラスが97.76 fWAR)、しかもそれらの契約はまだすべてが終了しているわけではない。

2022年クラスでは、3.0 fWAR以上のシーズンを記録した投手が10人おり、この数は“当たり年”だった1996年クラスに次ぐ多さだった。

その10人は、アレックス・コブ、タイラー・アンダーソン、ケビン・ゴーズマン、クレイトン・カーショウ、コリー・クルーバー、マルティン・ペレス、カルロス・ロドン、エドゥアルド・ロドリゲス、マックス・シャーザー、ジャスティン・バーランダーである。

先発投手のFAクラスは年ごとの当たり外れこそあるが、全体としての“リターン”が急激に悪化したわけではない。

投球回数で補正し、1イニング当たりのパフォーマンスの質に絞って見ると、直近8年のフリーエージェント市場で先発投手として契約した投手は、どのクラスも平均で180イニングあたり少なくともfWAR2.0を記録している。

1991年以降、これほどの水準が続いた期間は一度もなかった。

これは、フリーエージェントの先発投手が持つ相対的な実力が、今もなお非常に高い水準を保っていることを意味している。

投手市場にはリスクがある一方で、大きな見返りもある。

外部から投手の力を補うことがどれほど重要になり得るかを示すために、そう遠く過去を振り返る必要はない。

ア・リーグ王者となったブルージェイズは、ケビン・ゴーズマン(2022年クラス)から3度の「3 fWAR超」のシーズンと、この4年間で通算733回2/3のイニングを投げた。ゴーズマンはア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦では救援で勝利投手になった。クリス・バシットも信頼できるタフネス投手として投げ続けている。マックス・シャーザーは10月に14回1/3を投げた。ワールドシリーズを制したドジャースのローテーションにとって、外部からの補強の重要性は、MLBを追っている人なら誰もが分かっている。

1990年代のブレーブスのように、強豪チームの先発ローテーションを見渡せば、その先頭にはたいていエリート級の投手がいる。

特にポストシーズンでは、より多くのイニングを一流の投手が担うため、先発投手は今もなお野球では最重要の存在であり続けている。

一方で、球団側にとって経済的なリスクが大きくなっているのも間違いない。

昨オフのフリーエージェント市場で、MLBの先発投手が手にした平均年俸はシーズンあたり1800万ドル(約28億円)で、2012年の800万ドル(約12億円)と比べて125%の増加となっていた。2012年の労使協定では、クオリファイング・オファーが導入されるとともに、ぜいたく税のペナルティも厳しくなった。

球団側はこれに対し、短期契約を優先することでリスクの回避を試みた。

先発投手の1年契約は、全体として増加傾向にある。
・1990年代の1年契約の割合:46.4%
・2000年代の1年契約の割合:57.4%
・2010年代の1年契約の割合:63.8%
・2020年代の1年契約の割合:61.5%

一方で、3年以上の契約は全体として減少してきたが、直近ではやや持ち直している。
・1990年代の3年以上の契約の割合:32.8%
・2000年代の3年以上の契約の割合:19.6%
・2010年代の3年以上の契約の割合:16.6%
・2020年代の3年以上の契約の割合:21.3%

ある球団幹部はこう話している。

「多くの球団が、フリーエージェント投手と長期間の契約を恐れている。それは、妥当な考えだ」

興味深いのは、年数の長い契約の方が、1年あたりの“生産性”が高いことだ。

1991年以降のデータを見ると、1年契約の平均は1.52 fWAR(契約328件)で、3年契約の1.56 fWAR(104件)、4年契約の1.71 fWAR(53件)、5年契約の1.92 fWAR(25件)、6年契約の2.6 fWAR(契約数は8件と少ない)をいずれも下回っている。この一般的な傾向は、近年のデータに絞って補正しても維持されている。

これは理にかなっている。スター級の選手や突出した才能の持ち主は長期契約を提示されやすく、そのぶんエリートレベルのパフォーマンスを保ち、年齢による衰えに逆らえる可能性が高いと考えられるからだ。

そして、ポストシーズンを勝ち進むためには、スターが必要だ。

スター級の先発投手をフリーエージェントで獲得することにはリスクが伴うが、そのリスクを取ることには大きな見返りもある。マダックスから山本由伸に至るまで、スター先発投手の大型FA契約は、他の補強では得られないレベルで球団の運命を変え続けている。