ホワイトソックスのアンソニー・ケイが、日本での2年間の経験を糧にメジャーで進化を遂げている。
2019年にブルージェイズでメジャーデビューした左腕は、ブルージェイズ、カブス、メッツを経て2024年に横浜DeNAへ移籍。2年間で48試合に登板し、15勝15敗、防御率2.53を記録した。2024年は防御率3.42、2025年は同1.75と安定した投球を続け、チームの日本一にも貢献。日本での成績が評価され、2025年12月にホワイトソックスと2年1200万ドル(約19億4000万円、3年目は選手と球団双方に契約延長権)で入団した。
今季はホワイトソックスの先発ローテーションに定着し、16試合で6勝2敗、防御率4.24。数字以上に目を引くのが、その投球スタイルの変化だ。
かつてはフォーシーム主体の投手だったが、今季は配球を大きく見直した。フォーシームの割合は2023年の54.5%から24.1%まで減少。一方でスイーパー(21.9%)、シンカー(18.1%)、カットボール(17.2%)、チェンジアップ(13.8%)をバランス良く織り交ぜる、多彩な球種で勝負する投手へとモデルチェンジした。
特に大きな武器となったのが、日本で習得したシンカーだ。
「すごくいい球種だと思っている。カウントを悪くした時や、ゴロを打たせたい場面でよく使っている。今はその球種にかなり頼っていて、実際に結果も出ている」
日本へ渡った当時、ケイの課題は「長いイニングを投げ切ること」だった。
「日本では先発投手は100~120球投げて、7~8イニング投げることを求められる。でも、当時の自分は長いイニングを投げられなかった。もっと長く投げるための球種が必要だと思ったんだ」
そこで参考にしたのが日本人投手たちだった。
「多くの投手がシンカーを投げていたので、自分も試してみたらうまくいった」
新たな武器を手にした左腕は、横浜DeNA時代に2度の完投を記録。現在もカウントを悪くした場面やゴロを打たせたい場面で、そのシンカーを大きな武器としている。
日米両方の野球を経験したケイは、打者や野球スタイルの違いについてもこう語った。
「アメリカの打者の方が間違いなくパワーがある。日本は単打をつないで、盗塁や送りバントを絡めながらチーム全体で得点を奪う野球。でもこちらは、とにかくホームランを狙ってくる打者が多い」
日本の打者については、「本当にファウルで粘るので、(投手は)すごくフラストレーションがたまる。何球も粘られて球数が増えていく。そういう野球が本当にうまい」と振り返る。
その経験は、投球スタイルにも影響を与えた。
「投手としては三振を取りたいけれど、日本ではそればかり考えていても仕方がない。打たせてアウトを取ることを考えるようになった」
また、日本では本塁打を過度に警戒する必要がないため、「カウントを悪くしても、一発をそこまで心配しなくていいので、もっと積極的に攻められた」と、日本ならではの野球観にも触れた。
野球での一番の思い出は、「1年目に日本シリーズで優勝できたこと」だという。
「日本シリーズで優勝できたのは本当に特別な経験だった」
シーズンを戦い抜き、チームメートと歓喜を分かち合った日々は、今でも忘れられない思い出だ。「ファンの鳴り物入りの応援も楽しかった」と振り返る。
野球以外でも、日本での生活を満喫した。
「妻と一緒にいろいろな都市を旅行できて、本当に楽しかった。新幹線で簡単に移動できるので、日本はとても便利だね。ご飯も美味しかったけれど、一番は焼肉!」と笑顔で教えてくれた。
今季からホワイトソックスでは、NPB時代に対戦した村上宗隆とチームメートになった。
「すごくうれしいよ。ヤクルト時代から彼の活躍やスイングを見ていて、『この選手は絶対にメジャーで通用する』と思っていた。速球への対応を心配する声もあったけど、日本には97、98マイル(156〜158キロ)を投げる投手はそれほど多くない。だから、その指摘は少し違うんじゃないかと思っていた」
村上の加入により、春季キャンプから日本メディアの姿も増えたが、「また日本のファンやメディアの皆さんと接することができて、とても楽しい」と歓迎ムードだ。
日本で磨いたシンカーは、今では自身を支える大きな武器となった。日本で過ごした2年間は技術だけでなく、野球観や人生観にも大きな影響を与えた。
「どうすれば打者を打ち取れるのか、どういう技術を身につけるべきかを深く考えるようになった。それが今の自分につながっている」
その経験を糧に、左腕は再びメジャーのマウンドに上がる。