ジャッジは右打者として、史上最高の全盛期を送っているのか?

8:23 PM UTC

全米野球記者協会(BBWAA)の投票により2025年のア・リーグMVPに選出されたアーロン・ジャッジは、ある偉大な選手たちの仲間入りを果たした。2022年と2024年にも同賞を受賞しているジャッジは、キャリアで通算3度以上のMVPを獲得した史上13人目の選手となった。以下がそのリストだ。

  • ジミー・フォックス、3回(1932、33、38年)
  • ジョー・ディマジオ、3回(1939、41、47年)
  • スタン・ミュージアル、3回(1943、46、48年)
  • ロイ・キャンパネラ、3回(1951、53、55年)
  • ヨギ・ベラ、3回(1951、54、55年)
  • ミッキー・マントル、3回(1956、57、62年)
  • マイク・シュミット、3回(1980、81、86年)
  • アレックス・ロドリゲス、3回(2003、05、07年)
  • アルバート・プホルス、3回(2005、08、09年)
  • マイク・トラウト、3回(2014、16、19年)
  • 大谷翔平、4回(2021、23、24、25年)
  • バリー・ボンズ、7回(1990、92、93、2001-04年)

ジャッジの圧倒的な攻撃力は、単に最も多くの賞を獲得したMVP受賞者というだけでなく、史上最高の右打者の名にふさわしい。さらに言えば、ジャッジは現在、史上どの右打者よりも素晴らしい全盛期(ピーク)を過ごしているという主張も成り立つ。

まず、球界の偉大な右打者の一人に数えられること自体が、極めて特別なことである。なぜなら、野球は左打者のために作られたスポーツだからだ。

左利きは全人口の10~12%しかいないと推定されているにもかかわらず、殿堂入りした野手の40%以上は左打ちだ。圧倒的多数を占める右投手に対して視覚的に有利な立場にあり、一塁ベースまでの距離も近い利点を生かしている。

したがって、この議論においては、ベーブ・ルースらには申し訳ないが、すべての左打者(およびスイッチヒッター)を脇に置き、右打者だけに焦点を当てることにする。

時代を超えて選手を比較する最も公平な方法であるため、リーグ環境(打者有利・不利など)を補正した指標「OPS+」を用いて議論を進める。なじみのない人のために説明すると、リーグ平均のOPS+は100となる。

2000試合以上の出場を条件とすれば、通算OPS+を見ることで、史上最高の右打者たちの多くを適切にランク付けできる。

  1. ロジャース・ホーンスビー:175(リーグ平均より75%優れている)
  2. ジミー・フォックス:163
  3. フランク・トーマス:156
  4. ウィリー・メイズ:155
  5. ハンク・アーロン:155
  6. マニー・ラミレス:154
  7. フランク・ロビンソン:154
  8. ホーナス・ワグナー:151
  9. ナップ・ラジョイ:150
  10. ジェフ・バグウェル:149

もちろん、異なる指標を使えばリストの顔ぶれも変わり、アルバート・プホルス、エドガー・マルティネス、ミゲル・カブレラらの名前も挙がるだろう。また、人種隔離が行われていた時代の野球という特殊な事情(および記録の不備)により、2000試合という基準には遠く及ばないが、ニグロリーグの伝説、ジョシュ・ギブソン(メジャーレベルと認定される602試合でOPS+ 214)への言及なしに、偉大な右打者の議論は完結しない。

1145試合出場のジャッジには、このグループの中で「最高」と主張するだけの積み重ねはまだない。34歳のシーズンを迎えるにあたり、ジャッジがいつまでこのレベルの生産力を維持できるかは、当然の疑問だ。

それでも特筆すべきは、2026年を迎える時点でのジャッジの通算OPS+ 179が、1000試合以上に出場した右打者の中で最高だという事実だ。これは、今後ジャッジに何が起きようとも、すでに記録の面で特別な地位を確立した、圧倒的な全盛期のたまものだ。

2022年から2025年にかけ、ジャッジは打率.311、出塁率.439、長打率.677を記録した。

この数字の意味は大きい。この期間の打率.311は、規定打席到達者の中では、首位打者を3度獲得したルイス・アラエスの.318に次ぐ2位だ。一方で、アラエスの長打率はジャッジの.677より260ポイントも低かった。

同期間のジャッジの長打率.677はMLBトップで2位の大谷翔平(.609)に68ポイントの大差をつけた。出塁率.439もトップで、2位のフアン・ソト(.407)に32ポイント差をつけている。

簡単に言えば、ジャッジはこの4シーズンでOPS+ 209を記録した。つまり、同期間のリーグ平均より109%優れていたということだ。

2023年は足指のねんざにより106試合の出場にとどまり、OPS+は176で終わった。ジャッジにとっては、これでも物足りない数字だった。

しかし、この期間以外の3年を見ると、ジャッジのOPS+は2022年(ア・リーグ記録の62本塁打を放った年)が210、2024年(近代野球が始まった1900年以降、両リーグの右打者として最高)が225、2025年(打率、出塁率、長打率でメジャートップ)が215だった。

規定打席に到達し、これほどのシーズンを3度以上記録した右打者が他に何人いるだろうか?

たった一人だ。殿堂入り二塁手のロジャース・ホーンスビーで、1922年(207)、1924年(222)、1925年(210)、1928年(202)に達成した。

1947年に球界の人種統合が行われて以降、これほどのシーズンを3度送った右打者はジャッジだけだ。実のところ、人種統合以降、右打者がOPS+ 200以上を記録したのは、他に以下の4例しかない。

  • ジェフ・バグウェル(1994年アストロズ):213
  • フランク・トーマス(1994年ホワイトソックス):212
  • マーク・マグワイア(1998年カージナルス):216
  • サミー・ソーサ(2001年カブス):203

つまり、2人は選手会のストライキで短縮されたシーズンでの記録であり、他の2人はステロイド時代だ。

それですべてだ。人種統合後の時代において、右打者が平均的な打者の2倍の働きを見せた例はこれだけだった。ジャッジが現れ、直近4シーズンで3度もやってのけるまでは。

ジャッジ以前、OPS+ 200以上かつ50本塁打以上を記録したシーズンは、MLB史上でも3例しかなかった。

1932年のジミー・フォックス(フィラデルフィア・アスレチックス)、98年のマーク・マグワイア(カージナルス)、2001年のサミー・ソーサ(カブス)だ。

今やジャッジは、たった一人でこれに匹敵するシーズンを3度も記録している。

ジャッジの全盛期が史上どの位置にあるのか、その判断は最終的には見る人に委ねられる。

ロジャース・ホーンスビーが1920年から25年の活躍を好む人もいるかもしれない。この期間、ホーンスビーのOPS+ 201は、両リーグの他のどの右打者よりも43ポイント高く、6年連続でナ・リーグ首位打者を獲得した。

あるいは、ジョシュ・ギブソンの1933年から39年がいいかもしれない。現存する記録では、ギブソンは打率.375、長打率.746を残している。

フランク・トーマスが1991年から97年に成し遂げたことかもしれない。この間、トーマスは右打者・左打者を問わず、他のどの打者よりも114回多く出塁した。

アルバート・プホルスも、2003年から10年までの8シーズンにおいて議論に加わる余地がある。プホルスのOPS(1.067)を上回ったのは、左打者のバリー・ボンズ(1.193)だけだった。

繰り返しになるが、OPS+こそがジャッジの功績を評価する最良の方法だ。2026年を迎えるにあたり、右打者によるOPS+ 200以上のシーズン最多記録を持つホーンスビーに、ジャッジが並ぶことができるかどうかは興味深い。

もしジャッジが達成し、人種統合や、ホーンスビーの時代よりも現代の野球がいかに過酷であるかを考慮すれば、ジャッジは右打者として比類なき全盛期を築き上げたことになるだろう。