ジャッジ、デビューから10年の軌跡

8:19 AM UTC

本記事はブライアン・ホックのニュースレター、ヤンキース・ビートからの抜粋。

2016年がトレンドになっている。SNSでは、ポケモンGOが街中を席巻し、ミュージカル『ハミルトン』のチケット入手がほぼ不可能で、カブスがついにワールドシリーズ制覇を果たした10年前を懐かしむ投稿であふれている。

10年前、84勝のヤンキースはプレーオフ進出を逃したが、それでもブロンクスにとっては大きな転換期となる1年だった。その影響は今も球団内に及んでおり、アーロン・ジャッジのキャリアの軌跡に最も顕著に表れている。

転換点は夏の終わりに訪れた。ブライアン・キャッシュマンGMは、かつてフロント内部では考えられなかった決断を下した。自身が手掛けた選手編成を見渡した。高齢化した戦力が多すぎ、期待外れのパフォーマンスが目立っていた。

キャッシュマンGMは後に、マネージング・ゼネラル・パートナーのハル・スタインブレナー氏との対話は、自身のキャリアで最も困難なものの一つだったと語っている。アストロズやカブスが最近行ったような完全な再建をオーナー陣が決して承認しないことは認めつつも、ヤンキースには2016年のワールドシリーズを制する実力がないとスタインブレナー氏に伝えた。

同GMの提案は妥協案だった。知名度のある選手を強豪チームへ放出し、再建を加速させるプロスペクト(有望株選手)を獲得するというものだ。シーズン途中に「売り手」となるのは、将来の殿堂入り選手リッキー・ヘンダーソンをアスレチックスへ放出した1989年以来のことだった。

「ヤンキースは長い間、特定の流儀でやってきた。そこから方針転換するのは困難だった」キャッシュマンはそう語った。

「だが同時に、私たちが戦っているチェス盤は、父親がプレーしていたものとはまるで違うということを、全員に認識させ続ける必要があった」

数週間のうちに、アロルディス・チャップマン、アンドリュー・ミラー、イバン・ノバ、カルロス・ベルトランが去った。その見返りに、ヤンキースは新たな顔ぶれを加えた。特にグレイバー・トーレスとクリント・フレイジャーが目玉だった。その後も将来のために枠を空け続けた。一方、チャップマンはカブスの優勝に貢献した後、その冬に復帰することになる。

マーク・テシェイラがそのシーズン限りでの引退を表明した2日後、ヤンキースはアレックス・ロドリゲスを放出すると発表した。ロドリゲスは契約を1年以上残していた。A-ロッドの出場機会は減少しており、41歳のDHを抱えておく必要性はほとんどなかった。

8月12日に行われたロドリゲスのラストゲームは、4万6000人以上のファンが目撃した。フィールド上でのセレモニーは豪雨によって中断され、全員がダグアウトへ逃げ込むことになった。ロドリゲスは去り際、後ろのポケットに内野の土を詰め込んだ。

オールドタイマーズ・デーで1996年のチームが称えられ、歴史の重みが漂っていたが、それは未来のための日になるはずだった。将来、ヤンキースの次期キャプテンになるジャッジはニューヨーク州ロチェスターの「ダイナソー・バーベキュー」で、豆とマカロニを付け合わせにベーコンチーズバーガーを食べていた。

両親と食事をしていたジャッジを見つけ、当時3Aスクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースの監督だったアル・ペドリケが伝えた。

「私のところに来て『おい、食事は急いだほうがいいぞ。明日、ニューヨークに行かなきゃならないからな』と言ったんだ」とジャッジは振り返る。

ジャッジは家族とレンタカーに乗り込み、身長6フィート7インチ(約201センチ)のスラッガーは窮屈そうに後部座席に体を折り曲げ、ブロンクスまでの300マイル(約483km)以上の道のりを夜通し走った。午前6時ごろにニュージャージー州のホテルに到着したが、火災報知器が鳴り、ジャッジは眠ることができなかった。

一塁兼外野手のタイラー・オースティンも、デビューのために向かっていた。ジョー・ジラルディ監督はレイズ戦でオースティンを7番、ジャッジを8番に起用した。二回、オースティンはマット・アンドリースの速球を右翼線へ運び、フェンスをぎりぎりで越える本塁打を放った。

ネクストバッターズサークルに立っていたジャッジは、チームメートであり友人の快挙を「うれしかった」と語る一方、こうも考えていた。

「参ったな、とにかくバットに当てなきゃ」

アンドリースは2ストライクと追い込み、外角へ外した後、87マイル(約140km/h)のチェンジアップを投じた。ジャッジはこれを強振した。打球は中堅へ飛び、レストラン上部の小さな出っ張りをかすめ、モニュメント・パークを覆うネットの上に落下した。

この一発を446フィート(約136メートル)。オースティンとジャッジは、同一試合でメジャー初打席初本塁打を記録した史上初のチームメートとなった。その後、何百本もの強烈な打球を放ってきたが、この最初の1本はジャッジにとって今も別格だ。

「たぶん、僕の最高の本塁打はメジャーでの最初の1本だ」とジャッジは言った。

「ついにメジャーにたどり着いたが、自分が通用するかどうかは分からない。あの日以降に何が起きようと、メジャーで本塁打を打ったと言える。最初の1本は常に最高のものだと思う」