親しみのこもったカナダ流の軽口は、22日の深夜にフレディ・フリーマンが入国審査を通過する前から始まっていた。米国とカナダの両国籍を持つフリーマンは、空港で係官に米国のパスポートを提示。すると、係官は少し眉を上げたという。
「入国審査官が『どうしてカナダのパスポートじゃないの?』って言ったんだ」とフリーマンは笑いながら振り返った。
「だから、着いた瞬間から(戦いは)始まっていたというわけさ」
通算16年のキャリアで、フリーマンは考え得るあらゆる大一番を経験してきた。ポストシーズンは8年連続で進出し、ワールドシリーズ制覇を2度果たしている(21年にブレーブス、昨秋はドジャース)。
1年前、フリーマンはワールドシリーズ史上初のサヨナラ満塁本塁打を放ち、シリーズMVPへとつながる偉業で名を刻んだ。クーパーズタウン行きが約束されたかのようなキャリアでやり尽くした感さえある。
ただし、カナダでのワールドシリーズは特別だ。両親がともにオンタリオ州の出身で、父フレッドはウィンザー、母ローズマリーはピーターボロで育ち、トロントでも多くの時間を過ごした。
「母を10歳のときに亡くしている。だから、母が生まれ育ち、トロントで長く過ごした場所に来ると、少し近くに感じられる」
フリーマンは23日(日本時間24日)、ロジャースセンターでのワールドシリーズ・メディアデーで語った。
「ここに戻ってくることが特別なのは、そのためだと思う。母に近づける気がする」
両親はカナダで結婚した後、フレッドの父(フリーマンの祖父)の仕事で南カリフォルニアへ移ることになった。新婚旅行をかねてオンタリオからオレンジ郡まで車で向かう計画だったが、ローズマリーがグリーンカード(米国永住権)を所持していなかったため米国への入国が認められず、計画は頓挫した。
南カリフォルニアで仕事が待っていたフレッド・シニアは、妻を待つ余裕がなく、自ら車で移動することを選んだ。ローズマリーは数カ月後に後を追い、2人の間には3人の息子が生まれた。ローズマリーはその後、2000年に皮膚がんで亡くなった。
フレディが母を思い出すとき、そこにはいつも「カナダ」がある。ブルージェイズがエンゼルス戦のためにアナハイムを訪れるとフリーマン一家は必ず球場で観戦した。フリーマンは「国歌『オー・カナダ』のときに立っていなかったら、父に席から引き上げられた」と笑う。同じことは、NHLのトロント・メープルリーフスがダックスと対戦しに来たときもあった。
「南カリフォルニアでカナダに関係するイベントがあれば、だいたいそこにいた」とフリーマン。
「そうしたちょっとした出来事が、母との素晴らしい思い出になっている。母とは10年しか過ごせなかったが、覚えているのはそのうちの4年ほど。でもその小さな記憶を大切にしているし、いつもカナダと結びついている」
その理由から、フリーマンは米国で生まれ育ちながら、過去2度のワールドベースボールクラシックでカナダ代表としてのプレーを選んだ。両親の出身により二重国籍を持ち、カナダ代表での出場は母への敬意を示すためだと、これまで何度も語っている。
これまでトロントを訪れるたびに、フリーマンはブルージェイズのファンから温かく迎えられてきた。
ただし今回は状況が違う。舞台はワールドシリーズ、両チームの思いがぶつかる真剣勝負だ。
「もしブーイングを受けても理解できる」とフリーマンは語った。
「自分はビジターチームの一員だからね。でも、カナダという国、そしてこの土地は自分と家族にとって特別な意味を持っている。ここに戻ってこられて本当にうれしい」
ドジャースのデーブ・ロバーツ監督もこう話す。
「ブルージェイズのファンが彼にどんな反応をするか分からないが、フリーマンは動じないと思う」
少なくとも、これまでのキャリアを見れば、心配はいらないだろう。フリーマンは球界屈指の勝負強い打者として評価を確立している。25日(日本時間26日)の第2戦は、ヤンキース相手のワールドシリーズ第1戦で満塁本塁打を放ってからちょうど1年の節目。ポストシーズン通算OPS0.871は、もはや小さなサンプルではなく、24日(同25日)、ロジャースセンターでの第1戦は、ポストシーズン通算73試合目となる。
ただし、パスポートが必要なポストシーズンはこれが初めてだ。
「トロントでプレーするために戻ってくるときは……いつだって特別だ」とフリーマン。
「でも今回は少し違う。最大の舞台だからだ。母のローズマリー・フリーマンについて、これまで以上に多くの人が尋ねてくる。いつも言っているが、母の話題が出るなら、母の記憶を生き続けさせるという良いことができているということだ」
