二塁手というポジションの価値を再定義し、カブスに数々の歴史的な名場面を生み出したライン・サンドバーグ氏が28日(日本時間29日)、がんで闘病の末に死去した。65歳だった。
サンドバーグ氏は、注目されることを好まない静かな性格だったが、卓越した長打力、俊足、堅守によって自然とスポットライトを集めたMLB史に残る名選手だった。輝かしい16年の現役生活の大半をカブスで過ごし、2005年には野球殿堂入りを果たした。
「ライン・サンドバーグは、カブスファンのヒーローであり、この球団の150年近い歴史の中でも屈指の偉大な存在として記憶され続けるでしょう。野球に対する敬意と献身、誠実さ、精神力、そして闘志が彼のキャリアの象徴でした」と、カブスのトム・リケッツ会長は家族と球団を代表してコメント。選手としてだけでなく、一人の人間としても愛されたサンドバーグ氏を追悼した。
「ラインはチームメート、そして野球の世界的なアンバサダーとしての役割を誇りに思っていましたが、何よりも妻マーガレットさん、子どもたち、そして父親として、祖父としての自分を大切にしていました」
キャリア通算282本塁打を記録したサンドバーグ氏は、引退当時は二塁手としてのMLB最多本塁打記録(277本)を保持していた。オールスターに10回選出され、ゴールドグラブ賞を9回、シルバースラッガー賞を7回獲得し、1984年にはナ・リーグMVPにも輝いた。
サンドバーグ氏が全国的なスターとなったのは、1984年6月23日の「ライン・サンドバーグ・ゲーム」と呼ばれる伝説の試合だった。ライバルのカージナルスとの一戦で5安打7打点、さらに殿堂入り投手ブルース・スーターから2本の同点本塁打を放ち、チームを劇的勝利に導いた。
「1984年は、私の人生を大きく変えた年だった」とサンドバーグ氏は、試合から40年後の2024年、リグレー・フィールド前に自身の銅像が建立された際に語っていた。
この時には既に若きスターとしてファンから愛されていたが、この試合をきっかけに「ライノ」は全国的な人気を獲得。以後、カブス球団史で本塁打、二塁打(403)、盗塁(344)、安打(2385)、得点(1316)、長打(761)、塁打(3786)、試合数(2151)のいずれも歴代トップ5以内という圧倒的なキャリアを築いた。
1959年9月18日、ワシントン州で生まれたライン・ディー・サンドバーグは、高校時代は野球、アメリカンフットボール、バスケットボールで活躍した「三刀流」で、フットボールではスターQBとしてワシントン州立大学への進学が内定していたが、それでもフィリーズが彼の野球の才能に賭けた。
フィリーズは1978年のMLBドラフト20巡目でサンドバーグ氏を指名。2万ドル(約320万円)の契約金を提示し、プロ入りを決断させると、3年後の1981年秋にメジャー初昇格を果たした。
フィリーズ時代に放った唯一のヒットは、1981年9月27日に奇しくもリグレー・フィールドで記録した単打。以降1259安打を積み重ねることになるシカゴの地での記念すべき1本目となった。
その後カブスに移籍すると、1982年の開幕戦では三塁手としてスタメン出場。同年9月には二塁手へ転向すると、翌83年には早くもゴールドグラブ賞を獲得し、そこから91年まで9年連続で受賞した。
サンドバーグ氏の守備はMLB最高と言っても過言ではない。二塁手としてMLB記録となる123試合連続無失策を樹立し、守備率.989はこちらも二塁手としてMLB歴代トップだ。リグレーフィールドに建てられた銅像が、グラブを身につけ、打球を待ち構えている姿であることが、サンドバーグ氏の守備へのこだわりと誇りを何よりも象徴している。
「これほど長く、安定して高いレベルを保ち続けた選手はいない。唯一無二の存在だった。野球において『すべてをやった選手』というのは、まさに彼のことだ」と2024年にカブスの内野手ニコ・ホーナーは語っていた。
1997年に現役を引退したサンドバーグ氏は、カブスから背番号23を永久欠番として称えられ、2005年には殿堂入りを果たした。2007年からは指導者としての道を歩み始め、カブス傘下でマイナーを昇格していき、2010年には3Aまで到達。2013年から15年にかけてはフィリーズの監督を務めた。
2023年末に、前立腺がんの転移と闘っていることを公表し、闘病の様子をファンに伝え続けていた。その日々が、彼にとって大きな気づきを与えたという。リグレー・フィールドに銅像が建立された際、スタンドのファン、そして上階から見守る現役選手たちに向けて、彼はこう語った。
「今の私にとって重要なのは、愛、人生、家族、そして友人たちです。私は今、自分の中の愛を感じています。本当は常に持っていたのです。ただ私は毎朝、60本多くのゴロをさばくことに夢中で、それに気づけなかった。でもそれが私だったのです。みなさんのことを愛しています」
