サラ・ラングス 2025年ルー・ゲーリッグ・レガシー・ガラでアイアンホース賞を受賞

November 13th, 2025

1939年5月2日、ルー・ゲーリッグ2130試合連続出場の記録を自ら止め、ヤンキースのラインナップから外れた。そのちょうど54年後の同じ日に、サラ・ラングスが生まれた。

サラとゲーリッグの物語は、ラングスがペンを握るよりも前から重なり合っていた。そして今、そのつながりが正式に認められた。

11日の夜、ニューヨークのチェルシー・ピアーズで行われた「ALS United Greater New York」の年次イベント「ルー・ゲーリッグ・レガシー・ガラ」で、ラングスは「アイアンホース賞」を受賞した。

同式典では、ヤンキースのエース、ゲリット・コールがリーダーシップと社会貢献活動を称えられて「ルー・ゲーリッグ・スポーツ賞」を受賞。トーマス・パリー氏が「ジェイコブ・K・ジャビッツ生涯功労賞」、そしてALS研究の先駆者であるクアルリス社CEOのカスパー・ロート氏が「チャンピオン賞」をそれぞれ受賞した。

このイベントは「ルー・ゲーリッグの不屈の精神を称え、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘う勇気、リーダーシップ、献身を体現する人々を表彰する」趣旨で行われ、ESPNのジェレミー・シャープがホストを務めた。ボブ・コスタスが夜の司会進行役を務め、来場者はスピーチの合間に三品コースの食事を楽しみ、サイレントオークションに参加した。

「このようなイベントのおかげで幅広い観客に来ていただき、研究の前進、アドボカシーの拡充、ケアサービスの改善に向けて私たちが何をしているかを共有できます」とALSユナイテッド・グレーター・ニューヨーク(United Greater New York)の社長兼CEO、クリステン・ココマンは語った。

「そして今夜この場にいる皆さんが、家族や友人、地域社会へとそれを広げていってくれるのです」

各受賞者への賛辞の中で、25年以上ALSユナイテッドで働くココマンは、サラ・ラングスが献身的なフォロワーに向けてALSの認知を広げてきた「驚くべき取り組み」を強調した。元MLB捕手のジョン・フラハティも、ラングスの野球への情熱とその歴史に関する知識を称え、デービッド・コーンはサラを「まさに英雄」と評した。

Sarah Langs and Gerrit Cole (Photo by Mike Lawrence/MLB)

ラングスは2019年からMLBで記者兼リサーチャーとして働いているが、非公式の肩書は「野球界の最上級スタッツ・グル(データ、成績の達人)」と言っていい。2021年7月にALSの診断を受け、2022年のポストシーズン直前に公表した。Xでの発表は瞬く間に大きな反響を呼び、いまも支援の輪は広がり続けている。

決めぜりふ「Baseball is the Best」をあしらったTシャツは、病名公表後まもなくRotowearから販売が始まり、収益はプロジェクトALSに寄付されている。以降、多くの団体がラングスを表彰しており、2023年の全米野球記者協会・ニューヨーク支部の晩餐会では「You could look it up」賞を受賞。昨年のオールMLBアワードでも称えられ、サラ・ラングスの名を冠したSABRの奨学金も設けられている。

Photo by Mike Lawrence/MLB

一連の注目の中でも、ラングスはゲーリッグにならい、本業への集中を崩していない。

「このポストシーズンを通して、ゲーリッグの名はいつも通り、数多くの“ポストシーズンの偉業リスト”に登場しました」とラングスはスピーチで語った。

「いまは、彼の名がリサーチで出てくるたびに、誇らしい気持ちが加わります。私たちのヒーローがやり遂げたのだ、と。読み知る限り、ゲーリッグが望んだのは、自分の病ではなく、まず仕事で評価されることだったはずです」

ラングスを「アイアンホース」と呼ぶ発想は、一緒に働いた人には完全に腑に落ちる。今季のワールドシリーズ全7試合で、ラングスは最後のアウトの後もずっと起きて(第3戦が東部時間午前2時50分終了の夜でさえ)、同僚のために記録を検証し、MLB.comに「知ってた?」記事を書き、Xに調査結果を投稿していた。病状が進行しても、仕事の質と情熱の明るさは揺らいでいない。

Photos by Mike Lawrence/MLB

「サラはコミュニティで本当に長い間、素晴らしい働きをしてきた」とコールは語った。目を引くデータについて定期的にメッセージを送り「人をひきつける人柄で、本当に頭が切れる。業界や野球そのものに多くの興味深い事実をもたらしてくれる存在だ」と評している。

ヤンキースのエースは、ラングスと同様にゲーリッグとも長年のつながりがある。コールは小学校4年のとき、影響力のある人物について発表する課題で、終生のヤンキース愛でも知られる通り、背番号4のレジェンドを選んだ。その課題を通じてゲーリッグのキャリアと病について学び、ALSとして知られる病と闘った殿堂入り打者の歩みを自分の中に刻み込むようになった。以来、ゲーリッグはコールの成功を支える原動力となってきた。

「そしていま自分自身がニューヨーク・ヤンキースの一員として、ルー・ゲーリッグの遺産は、想像していた以上の重みを持つようになりました」とコールはスピーチで語った。

「彼は、勇気を持って生きること、そして逆境に品位と節度をもって向き合うことの意味を示してくれた。だからこそ、彼の名と物語は、この運動を導き続けているのです」

Gerrit Cole making his acceptance speech (Photo by Mike Lawrence/MLB)

ディナーの間に行われた募金では46万5000ドル(約7200万円)以上が集まった。

カスパー・ロート氏はALSに対する遺伝子および幹細胞治療の開発について熱心に語り「ALSは解決可能な病だと確信している」と述べた。2024年にALSの診断を受けたトーマス・パリー氏はALS患者の声を再現し滑らかな文章で話せる支援技術を使ってスピーチを行った。

ラングスも同じ技術を用いてスピーチを行い、長いスタンディングオベーションで迎えられた。そうして、いまも自分の声で観衆と意思を交わすことができている。

そして、この夜が示したのはALSによって話す力が弱まってもラングスの声が依然としてALSと野球の両コミュニティに響き続けているという事実だった。

「私にとって認知を広げる最良の方法はただ“自分らしくいること”なんです」と語った。