ホワイトソックスのベナブル監督、大学生時代にバスケから野球へ転身したキャリア

October 9th, 2026

ウィル・ベナブル監督(43)の希望通りに進んでいれば、2026年のMLBポストシーズンで快進撃を続けるホワイトソックスを率いる現在はなかったかもしれない。

今頃は野球ではなくバスケットボールのベンチに座り、リーグ優勝決定シリーズというMLBのベスト4ではなく、NCAA(全米大学体育協会)男子バスケットボールトーナメントの「ファイナルフォー」を目指していた可能性もある。

それでも、第1希望だった競技とは違う道を歩みながら、ベナブルがここまでたどり着いた事実は、その運動能力の高さをより際立たせている。

若いホワイトソックスは長打力と勢いを武器に、球界を驚かせてきた。それでもチーム随一の総合的なアスリートは、実は指揮官かもしれない。ベナブルはかつて、野球とアメリカンフットボールの両方で一流だったボー・ジャクソンになぞらえられるほど、アイビー・リーグ屈指の万能選手だった。

「ある意味、皮肉なのかもしれません。父のマックスはメジャーでプレーしていて、僕は文字通りクラブハウスで育ちました。それでも物心がついた頃から、ずっとバスケットボール選手になりたかった。幼稚園の頃、NBA選手になれない可能性を考えて泣いた記憶もはっきり残っています。ずっと一番好きなスポーツでした」

ホワイトソックスが快進撃を続ける中、ベナブルのプリンストン大時代のプレー映像も注目を集めている。巧みなドリブルでゴールへ切り込み、得点を重ねる姿だ。

ベナブルが所属したプリンストン大は2004年のNCAA男子バスケットボールトーナメントに第14シードで出場。身長6フィート3インチ(約191センチ)のガードだったベナブルは16得点、8リバウンドを記録したが、格上のテキサス大に初戦で敗れた。

Photo courtesy of Princeton Athletics

「ベナブルは本当に洗練されたバスケットボール選手でした」と、プリンストン大野球部でチームメートだったガーディアンズのマイク・チャーノフGM(45)は振り返る。

「ドリブルもシュートもできて、コートを自在に動けた。何でもできました」

高校生だったベナブルがプリンストン大を訪れた際、大学側はバスケットボール選手として勧誘していた。一方、メジャーで12シーズンプレーした父マックス・ベナブル氏(69)には、息子自身もまだ気づいていない予感があった。

「マックスが私のオフィスで『いずれ野球をやりたくなると思う。本当にそう思うんだ』と言ったんです」と、当時プリンストン大野球部を率いていたスコット・ブラッドリー氏(66)は振り返った。

ベナブルは2001年にプリンストン大へ進学すると、1年目はバスケットボールに専念し、1試合平均16分に出場した。しかしシーズン終了後、父の予感が現実となる。授業との両立にも慣れたとしてブラッドリー氏のオフィスを訪れ、野球にも挑戦したいと申し出た。

ブラッドリー氏が打撃ケージへ連れていくと、最初の5スイングは空振り。続く5球はポップフライとなった。それでも、そこから一転して鋭いライナーを次々と飛ばし始めた。

Photo courtesy of Princeton Athletics

「すぐにアシスタントへ電話しました」とブラッドリー氏は振り返る。「『ウィル・ベナブルが今、打撃練習をした。かなりいい選手になる可能性がある』と伝えました」

大学2年目のバスケットボールでは先発に定着。プリンストン大がNIT(全米招待トーナメント)で敗退すると、ブラッドリー氏は休養を取るか、すぐに飛行機でノースカロライナ州へ移動して野球部に合流するかを選ばせた。ベナブルは即座にプレーする道を選んだ。最初の打席は三振。それでも次の打席では左中間へライナーの安打を放った。

最終的にプロへの道を開いた競技は野球だった。一方、バスケットボールは心を解放できる大切な存在であり続けた。

「バスケットボールは、すべてを忘れて楽しめる場所でした。野球がその代わりになったわけではありません。野球はただ、自分の競争心を満たしてくれました」

4年時には名門デューク大の本拠地キャメロン・インドア・スタジアムで21得点を挙げた。ただ、持ち味はドライブで切り込むプレーで、純粋なシューターではなかったため、NBAへの道は開かなかった。

同じ4年時には、後にパドレスでチームメートとなるクリス・ヤング(47)に続き、バスケットボールと野球の両方でオール・アイビーのファーストチームに選出されたカンファレンス史上2人目の選手となった。

Photo courtesy of Princeton Athletics

MLBのスカウトからは、野球経験の浅いベナブルを「荒削り」と評価する声もあった。それでも、ブラッドリー氏は高く評価していた。

「彼の野球勘は誰よりも優れていました」

2005年ドラフト7巡目でパドレスから指名され、2008年にはメジャーデビュー。大学とマイナーを合わせても、そこまでに経験した野球の公式戦は600試合にも届かなかった。

それでもMLBでは9シーズンにわたってプレーし、通算WAR(勝利貢献の総合指標)は約13を記録した。

幼い頃からバスケットボール選手を夢見ていた青年が、野球で築いた立派なキャリアだった。

「まったく違う競技です。それでも根底にある競争心は同じです。僕は根っからの負けず嫌いなんです」

その強い競争心は、指導者となってからも変わらなかった。カブス、レッドソックス、2023年にワールドシリーズを制したレンジャーズでコーチを務めた後、2024年に121敗を喫したホワイトソックスの監督に2025年から就任。就任2年目の今季、チームをポストシーズンへ導き、2005年以来となるシリーズ突破も成し遂げた。

43歳となった現在は負傷を避けるため、仲間同士で楽しむバスケットボールには参加していない。

「頭ではまだできると思っているんですけどね。体がついてきません」

かつてコートで磨いた競争心は、今も変わらずベナブルを支えている。121敗を喫したチームを立て直し、来月発表されるア・リーグ最優秀監督賞の候補にも名を連ねるまでになった。

バスケットボール選手を夢見た少年は今、指揮官としてホワイトソックスをさらに先へ導こうとしている。