「新しい変化球を覚えれば、より良いピッチャーになれる」
それが今のメジャーの常識になりつつあるが、いつも上手くいくとは限らない。エンゼルスの左腕、菊池雄星は逆の答えを出した。
2025年、菊池は2度目のオールスターに選出されたが、その裏には「新球スイーパーを捨てる」という決断があった。
近年のMLBでは、スプリット、シンカー、チェンジアップ、スイーパーなど“新たな武器”が次々と投手たちのレパートリーに加わっている。スイーパーは、通常のスライダーよりも球速が遅く、横方向の変化が大きい球で、ここ数年、多くの投手が球速や変化量に幅を持たせるために球種に加えている。
菊池もその流れに乗った一人だった。
「強打の左打者たちをどう抑えるかを考えていた。コーリー・シーガーやヨルダン・アルバレスのような選手たちどう抑えるか考え、スイーパーが鍵になると思った」と、菊池は通訳の大嶋氏を介してMLB.comに語った。
2025年開幕前、菊池の持ち球はオーソドックスな内容だった。フォーシーム、スライダー、カーブ、チェンジアップ。だが、スライダーとカーブはいずれも縦方向の変化が中心で、横に逃げる球がないという弱点があった。左打者の外角に逃げる球がなかった。
そこで頭に浮かんだのがスイーパーだ。
左打者の外角に逃げる軌道を加えるには最適の球種で、菊池は春季キャンプでスイーパーを完成させた。平均球速は約81マイル(約130キロ)、横の変化量は15インチ(約38センチ)以上。空振り率は33%、三振率は40%と素晴らしい数値を記録した。
レギュラーシーズンでもそのまま導入し、先発2戦目のカージナルス戦では6球を投げ、ビクター・スコットIIから三振を奪った。
だが、すぐに違和感に気づいた。スイーパー自体ではなく、「他の球」がおかしくなったのだ。直球に勢いがなく、スライダーもカーブもキレがなかった。球速は全体的に落ち、コマンド(制球)も乱れた。この試合では5四球を与えた。
原因はスイーパーだった。
菊池はその理由を突き止めた。スイーパーに必要な横変化を出すには、他の球種よりも「低い腕の角度(サイドスロー寄り)」で投げる必要があるが、フォームの変化が他の球種にまで悪影響を与えていた。
「スライダーはカットっぽく、そしてカーブもあまり曲がらなくなった。特に変化球で異変が出たので、腕の角度が原因かもしれないと思った」と説明し、「球種ごとの腕の角度の違いが自分には合わなかった」と結論づけた。
データ解析システム・スタットキャストによれば、2024年にブルージェイズとアストロズで投げていた頃の菊池のアームアングル(リリース角度)は平均42度。これは比較的標準的なスリークォーターだ。だが、スイーパーを投げる際は26度とかなりサイドスロー寄りに低くなっていた。
その結果、他の球種にも影響し、フォーシームの腕の角度は昨季の39度から、4月には32度に低下。スライダーは40度から31度、カーブは51度から42度にそれぞれ低下した。
スイーパーを投げる際、低いアングルはプラスだが、フォーシームやカーブ、スライダーにはマイナス要素だ。
「腕の角度が崩れてしまった。自分のように簡単にアームスロットを変えられないタイプにとっては、難しかった」
投球は繊細なメカニズムの上に成り立っており、誰もがポール・スキーンズのように「スプリンカー(スプリットとシンカーの融合)」を投げたり、大谷翔平のようにシーズン途中で新球種を自由自在に追加できるわけではない。タリク・スクーバルのようにチェンジアップを習得するのに、何年もかかる投手もいる。
菊池にとって最も効果的なのはスイーパーではない。それがなくても十分にマウンドで力を発揮できる。
特にメジャーリーグのレベルでは、ピッチデザインが非常に複雑な科学となっており、世界最高峰の打者に対して有効なボールを投げるためには、球種を極限まで磨き上げる必要がある。そのため、ひとつ何かを変えることで、思わぬ悪影響が出ることもある。
菊池の場合、左対左の場面で有効とされるスイーパーを加えることによる“プラスの効果”よりも、それが他の球種に及ぼす“マイナスの影響”の方が大きかった。3つの球種の質が低下するのに、一つの球種が良くなるだけでは割に合わない。
そのため、菊池のレパートリーに加わったスイーパーは、あっという間に姿を消した。
「スイーパーみたいな新しい球種は、練習すればできる。でもそのために他の球種の感覚や投げ方を忘れてしまうかもしれない。だからスイーパーを投げないという大きな決断をしたんです」
4月以降、1球もスイーパーを投げていない。そして明らかに投球が良くなっている。
スイーパーをやめてから、菊池は長い時間をかけて、自身の投球のメカニクスを立て直した。
腕の位置(アームスロット)を意図的に上げようとは考えなかった。そこに意識を集中しすぎると、かえって他の動きに悪影響を与える。スイーパーを投げ始めたときに実際そうなった、と考えたからだ。
代わりにグラブを装着する右手の位置を修正し、そして投球動作中に前に突っ込みすぎず、開かないように意識することに取り組んだ。
結果、自然とアームスロットが改善された。4月以降、菊池の腕の角度は数度上がっており、特に彼の生命線であるフォーシームとスライダーにおいて、この変化が如実に現れている。
徐々に球質も戻ってきた。フォーシームは7月に入って平均94.2マイル(151.6キロ)から95.2マイル(153.2キロ)に。スライダーも86.6マイル(139.4キロ)から87.7マイル(141.1キロ)へと上がっている。これは2024年の状態に近い数字だ。そのため、前半戦が終わる頃には、菊池は再びオールスター級の投球内容を見せていた。
スイーパーを投げない期間が長くなるほど、菊池は『かつての自分』に近づいている。
「スイーパーをやめてから、自分らしさを取り戻せた気がする。数年前の感覚に近い。球速も戻ってきてるし、今はアームスロットのことなんて気にせずに投げている」
とはいえ、菊池には依然として強打の左打者を封じる課題がある。スイーパーを封印した今、別のアプローチで彼らに立ち向かっている。
たとえば、左打者のタイミングをずらすためにカーブを織り交ぜたり、ツーシームを内角に食い込ませて外の速球に狙い球を絞らせないようにしたり。さらには、5月18日のドジャース戦では大谷翔平に対して投じたように、左対左の場面で意表を突くチェンジアップを使うこともある。
だが、最も重要なのはやはり「自分の一番良いボール」を自信を持って投げること。すなわち、フォーシームとスライダーだ。
「スイーパーをやめて、自分の強みであるフォーシームとスライダーに集中できるようになった。その2球を信じて投げ続けます。それが(いい投球をする)一番の近道なので」
そして今後、スイーパーを復活させるつもりは、という問いに菊池は通訳を介さず、英語で即答した。
「No more sweeper(もうスイーパーは投げない)」
