ドジャースの右腕、エメット・シーハンがマウンドに上がるたび、グラブに刻まれたあるメッセージが目に入る。
「K ALS(ALS撲滅の願い)」
それは、野球以上に大切なものがあることを思い起こさせる言葉だ。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、野球界とも深い関わりを持つ病気として知られている。ルー・ゲーリッグがこの病により1941年に亡くなったことから、その名が広く知られるようになった。
MLBでは、ゲーリッグが当時の記録となる2130試合連続出場を開始した日にちなみ、6月2日を「ルー・ゲーリッグデー」としている。一方で、5月2日もまた特別な意味を持つ日だ。1939年、この日にゲーリッグは自らヤンキースのスタメンから外れる決断を下し、キャリアに終止符を打った。
この日はもう一つの意味を持つ。
MLB.comの記者、サラ・ラングスさんの誕生日でもある。ラングスさんは2021年からALSと闘っており、昨季のポストシーズンでは、シーハンがグラブに「K ALS」と刻んでいることを紹介し、大きな注目を集めた。
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ラングスさんの誕生日に合わせ、シーハンはALSと闘う人々のために活動を続ける彼女に感謝の意を示し、自身のグラブを贈ると明かした。
MLBが公開したSNS動画でシーハンは、「感謝の気持ちを込めて。誕生日にこのグラブを一つプレゼントしたいと思ったんだ。いつも本当にありがとう。そして誕生日おめでとう」とラングスさんに話しかけた。
5月はALS啓発月間でもある。神経系を侵し、随意運動を徐々に奪っていく進行性の神経変性疾患の研究や治療法開発に向けた支援を呼びかける期間だ。しかしシーハンは、このメッセージを5月だけでなく一年を通してグラブに刻み続けており、その思いは大学時代から変わっていない。
シーハンはボストンカレッジの出身で、2014年に世界的な広がりを見せたALS啓発活動「アイス・バケツ・チャレンジ」の発起人の一人、ピート・フレーツの母校でもある。フレーツは同校の野球部主将を務めた後、2012年に27歳でALSと診断された。
フレーツはその後、7年間にわたり病と闘い、2019年に他界するまでALS啓発活動の象徴的存在として尽力した。ボストンカレッジ野球部の選手たちは彼をたたえ、「K ALS」と刻まれたグラブを着用してプレーしていた。
「自分がボストンカレッジにいた頃も、ピートはまだ周りにいてくれて、僕たちにとって大きな存在だった。あの経験があったから、卒業後もこの活動を続けようと思ったんだ」とシーハンは振り返る。
大学に入るまでは、シーハン自身もALSについてほとんど知らなかったが、フレーツ本人やその家族と関わる中で理解が深まり、その思いは今も変わらず続いている。
「彼はよくチームのところに来てくれていたし、フレーツ一家は本当に特別なんだ」とシーハンは語る。
「ALS研究を支援するフレーツ・ファウンデーションもあって、とても意義のある活動だと思った。ボストンカレッジに行く前は詳しく知らなかったけど、学ぶことができて、それを今も続けられていることに感謝している」
