ブルワーズ創設1年目、シアトルで始まった波乱の歴史

October 20th, 2026

マリナーズは、シアトル最初のメジャー球団ではない。先に誕生した球団はブルワーズだった。

正確に言えば、その前身だ。

マリナーズが1977年に最初のシーズンを迎える8年前、シアトル・パイロッツが「エメラルド・シティ」ことシアトルを本拠地とする初のメジャー球団として誕生した。しかし、シアトルでプレーした期間はわずか1シーズン。翌年にミルウォーキーへ移転し、ブルワーズとなった。

ブルワーズが44年ぶりにワールドシリーズへ進出し、球団史上初のワールドシリーズ制覇を目指す今、球団58シーズンの歴史、その出発点となった太平洋岸北西部での1年を振り返るには絶好の機会だ。

長く豊かな野球史の中ではごく短い期間に過ぎない。それでも、1969年のシアトル・パイロッツには、実に興味深く、波乱に満ちた物語がある。

ディマジオ、マントル、ヤストレムスキーも球団誘致を後押し

太平洋岸北西部の人々は長年、MLB球団の誕生を待ち望んでいた。1967年、MLBは1969年から4球団を増やす拡張を決定し、シアトルにも念願の機会が訪れた。

ただし、新球団を迎えるためには地元住民の承認が必要だった。シアトルにあったマイナーリーグ球場、シックス・スタジアムを拡張し、恒久的な本拠地となる新たなドーム球場の建設に着手するための住民投票を可決しなければならなかった。

そこでア・リーグは、ジョー・クローニン会長(享年77)に加え、球界を代表するスターだったジョー・ディマジオ(享年84)、ミッキー・マントル(享年63)、カール・ヤストレムスキー(87)をシアトルへ派遣し、球団誘致を後押しした。

住民投票は可決され、シックス・スタジアムの改修が始まった。その後、キングドームとなる新球場の建設は1972年に始まった。

Tommy Davis played 123 games for the Seattle Pilots in 1969, hitting .271 with 29 doubles and 80 RBIs. (Getty)

新球団名は「パイロッツ」、拡張ドラフトでミンチャーを指名

地域の海運の歴史と航空宇宙産業にちなみ、新球団は「パイロッツ」と命名された。チームカラーには青と黄色が採用された。

1968年のMLB拡張ドラフトには、パイロッツのほか、カンザスシティ(ロイヤルズ)、モントリオール(エクスポズ)、サンディエゴ(パドレス)の新球団も参加。シアトルは最初の指名で、エンゼルスからベテラン一塁手ドン・ミンチャー(享年73)を獲得した。

ミンチャーは1967年、カリフォルニア・エンゼルスでオールスターに選出され、25本塁打、OPS.854をマークした。パイロッツ唯一のシーズンとなった1969年も打線の中心を担い、チーム最多の25本塁打を放って再びオールスターに選ばれた。パイロッツは2人目の指名でインディアンスから内外野を守れるトミー・ハーパー(86)を獲得。ハーパーは1969年にMLB最多の73盗塁を記録した。

パイロッツは1969年4月8日、ミンチャーの古巣エンゼルスとの球団初戦に臨んだ。一回に4点を先制し、アナハイムで4-3の勝利を収めた。

シーズン序盤はまずまずの戦いを続け、7月1日の時点で35勝39敗。しかし、その後は苦戦し、最終成績は64勝98敗1分に終わった。

最下位チームなのに「163試合目」?

そうだ。パイロッツは1969年に163試合目を戦っている。理由は当時のルールにある。天候などで試合が打ち切られ、引き分けに終わった場合、少なくとも五回を終えていれば、その試合は公式記録に残る一方、順位表には反映されず、後日に最初から再試合が行われた。

このケースでは、9月12日(同13日)にシックス・スタジアムで行われたエンゼルスとのダブルヘッダー第2試合が、延長十回に雨で中断され、1-1の引き分けで終了。試合自体は公式記録に残ったが、順位表には反映されなかった。もっとも、最下位だったパイロッツにとって順位への影響はなかった。

翌13日、同カードはダブルヘッダー第1試合として改めて最初から行われ、パイロッツが6-4で勝利した。

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移転前からミルウォーキーでホワイトソックスと対戦

1969年6月16日、シアトル・パイロッツはホワイトソックスと対戦した。ただし、試合会場はシカゴ南部のホワイトソックス・パークでも、シアトルのシックス・スタジアムでもなかった。舞台はミルウォーキーのカウンティ・スタジアムだった。

ブレーブスが1965年にミルウォーキーからアトランタへ移転した後、ミルウォーキーでは新たなメジャー球団の誘致を目指す動きが進んだ。地元実業家のバド・セリグ氏は球団誘致を目的とする組織を設立。セリグ氏は後にMLBコミッショナーを務める人物で、1967年にはカウンティ・スタジアムでホワイトソックスとツインズのエキシビションゲーム開催に尽力した。

この試合には大勢の観客が詰めかけ、ホワイトソックスは続く2シーズンにミルウォーキーで公式戦の一部を開催することで合意した。1969年には計11試合を開催し、その中には6月16日のパイロッツ戦も含まれていた。試合はホワイトソックスが8-3で勝利した。

当時、翌年の同じ時期にはパイロッツがブルワーズへと変わり、カウンティ・スタジアムを本拠地として戦っているとは、誰も想像していなかった。

深刻な経営難

パイロッツは最初のシーズンを終えた後、深刻な経営難に陥り、破産を申請した。破産裁判所は、セリグ氏が率いるグループへの球団売却を承認。セリグ氏はミルウォーキーへの移転を計画していた。

パイロッツは、ある都市でわずか1シーズンだけプレーして移転したMLB史上2球団目となった。

もう1球団は、1901年のミルウォーキー・ブルワーズ。翌1902年にセントルイスへ移転し、ブラウンズとなった。

開幕6日前に決まった慌ただしいミルウォーキー移転

球団売却が破産裁判所から承認された時点は、スプリングトレーニング終了間際の1970年3月31日だった。パイロッツはアリゾナ州テンピでキャンプを実施。月末にキャンプを打ち上げると、毎年恒例の「トラック・デー」が思わぬ混乱に見舞われた。開幕を前にキャンプ地から本拠地へ用具を運ぶトラックへ荷物を積み込む日だ。

トラックの運転手たちは、テンピからシアトルへ向かうべきか、ミルウォーキーへ向かうべきかさえ分からなかった。さらに、ユニホームの胸にはまだ「Pilots」の文字が縫い付けられていた。

4月2日、売却に関する書類への署名が完了し、シアトル・パイロッツは正式にミルウォーキー・ブルワーズとなった。移転先が決まるまでユタ州プロボで停車していたトラックも、ウィスコンシン州へ向けて再び走り始めた。

ブルワーズが着用するユニホームも、そのまま流用された。「Pilots」の文字だけを外し、代わりに「Brewers」を縫い付けて使用した。

Right-hander Ray Peters, whose only Major League season was with the 1970 Brewers, poses in Tempe, Ariz. (AP)

1970年4月7日、ブルワーズはミルウォーキーのカウンティ・スタジアムで本拠地初戦を迎え、エンゼルスに0-12で敗れた。

ブルワーズはその後30年間、カウンティ・スタジアムを本拠地として使用。新球場ミラーパーク(現アメリカンファミリーフィールド)の完成に伴い、2001年から新たな本拠地へ移った。

そして23日、ブルワーズはアメリカンファミリーフィールドでワールドシリーズ第1戦を迎える。球団史上初のワールドシリーズ制覇まで、あと4勝。ブルワーズの歴史は、現在の本拠地から約1700マイル(約2740キロ)離れたシアトルで過ごした、波乱に満ちた創設1年目から始まった。