現代野球の強力な投球に対抗するため、打者たちは打席だけでなく、映像分析や日々のトレーニングでも攻略法を探し続けている。
そして近年、その最前線の一つとなっている場所が、カナダ・トロント郊外にある平屋の商業施設だ。
Trajekt Sports(トラジェクト・スポーツ)が開発を進めてきた技術により、メジャーリーグの打撃練習は大きく変わった。投手ではなく打者側に恩恵をもたらす、珍しい技術革新でもある。
Trajektが開発したデータ駆動型のピッチングロボットは、現在ほぼすべてのMLB球団で使用されている。舞台裏で急速に普及し、現代の投手が操る強力な球種を攻略する手段として期待を集めている。
「打者が1日に対戦相手と100試合できたり、100打席に立てたりするなら、その方がTrajektよりいいでしょう」と同社の最高技術責任者(CTO)、ローワン・フェラビー氏は冗談交じりに語った。
「誰かに緩い球を投げてもらい、それを球場の外まで飛ばすような練習と比べれば、Trajektの方が優れているとも言えるでしょう」
こうした緩い球を使った従来の試合前打撃練習は、今もMLB各球場で行われている。
一方、実戦で対戦する投手への準備として、より効果的な打撃練習は室内ケージで行われる。打率低下の一因となっている高速、高回転の投球への対策だ。その室内ケージに最先端の「Trajekt Arc(トラジェクト・アーク)」が設置されている。
「『実際の投手と対戦する感覚とは違う』と言う人もいる」とガーディアンズの二塁手トラビス・バザーナ(24)と実戦とマシンの違いを理解した上で続ける。
「確かに、まったく同じ感覚ではないかもしれない。でも試合に備えるため、ケージではトス打撃もするし、誰かに45マイル(約72キロ)の球を投げてもらって打つこともある。Trajektは実戦にかなり近いし、簡単ではない。そういう難しさはあった方がいいと思う」と評価した。
このマシンがMLB全体でどれほどの成果を上げているか。数値で示すのは簡単ではない。ただ、実際に打撃ケージへ入れば、その利点は明確に分かる。
仕組みはこうだ。
幅6フィート(約1.8メートル)、奥行き4フィート(約1.2メートル)の「Trajekt Arc(トラジェクト・アーク)」はレール上に設置され、左右へ移動できる。これにより、特定の投手がピッチャープレートのどの位置から投げているか再現できる。
Trajektのビデオ画面には、対戦を想定する実際の投手のワインドアップ映像が表示される。ボールが飛び出す画面上の開口部も調整可能で、その投手固有の腕の角度まで正確に再現できる。
各球団はハイテク計測装置Hawk-Eye(ホークアイ)のデータや、Rapsodo(ラプソード)、TrackMan(トラックマン)の計測機器から得たデータを入力し、対戦投手の回転数、球の変化、球速を正確に再現する。
つまり、実戦で対戦する前にその投手を精密に再現した投球をケージ内で体験できる。
「投手が実際にボールをリリースする以上、投手自身が結果に直接影響を与え、打者はそれに反応しなければならない」とブレーブスの強打者マット・オルソン(32)は語る。
「Trajektは完璧ではない。それでも球の変化などを事前に確認できる点は役に立つ」と評価した。
Trajektは、ジャイロ回転を再現する技術で従来のピッチングマシンと一線を画した。ジャイロ回転によって、スライダーは本塁付近で急激に落ちるような軌道を描く。
「私たちは常に、あらゆる部分を正確に再現することを非常に重視してきました」とフェラビー氏。
「スクリーンに投手の映像を映し、そこからボールを発射する技術自体は以前からありました。ただ、私たちはそれぞれの球種がどこで独自性を持ち、どこが特別でどのように違うかを正確に把握しています」と有用性を語った。
「Trajekt Arc(トラジェクト・アーク)」はピッチャープレートの左右へ移動し、リリース位置も滑らかに調整できる。ジェイコブ・ミジオロウスキー(24)を上回る球速まで再現可能でメジャー屈指の鋭い変化球と同じ軌道も作り出せる。
「球種の中には、回転軸の向きと回転数を組み合わせることで独特の非対称な変化を生み出すものがあります」とフェラビー氏。「だからこそ、すべてを正確に再現したいと考えています」と続けた。
回転とリリース位置を状況に応じて同時に再現できる技術は画期的な進歩となり、急速に普及した。さらに、通常の革製試合球から専用設計された軽量のフォームコアボールへ変更。打者は実際のボールに近い縫い目の向きや変化を確認できる一方、打球時に手へ伝わる痛みを軽減でき、練習中にバットが折れるリスクも抑えられる。
2021年、カブスがスプリングトレーニング施設でMLB球団として初めて「Trajekt Arc(トラジェクト・アーク)」を導入して以降、この装置は急速に普及した。2024年にはオフラインでも使用できるよう改良され、MLBが試合中の使用を承認。TrajektはRawlings(ローリングス)とも協力し、より柔らかい芯を採用した専用ボールを開発した。
利用台数は2022年以降、毎年2倍に増えている。MLB各球団は平均3台を保有し、本拠地球場、スプリングトレーニング施設、マイナー傘下球団に配置している。ドミニカ共和国では特に急速に普及。Trajektは10月末までに、NCAA(全米大学体育協会)の約10プログラムで稼働すると見込んでいる。
パドレスの新オーナー、ホセ・E・フェリシアーノ氏もTrajektマシンを体験し、守護神メイソン・ミラー(28)の球を再現した設定で打撃練習を行った。
もちろん、生身の投手ではなく2次元の映像を相手にする以上、限界もある。改良を重ね、発射口からボールが出る動きはより実戦に近づいた。それでも、人間の手からリリースされる球とスクリーンの穴から飛び出す球では、打者からの見え方が自然と異なる。
さらに、装置自体が非常に大きい。重さ1500ポンド(約680キロ)のTrajektを遠征先へ持ち運ぶことはできない。
それでも本拠地では、試合前にTrajektを利用する選手が順番を待つほど定着している。
「Trajektが導入される前から長年、自分のルーティンを変えずに続けている選手もいて、そういう選手は使っていない」とガーディアンズのトラビス・バザーナ(24)は明かす。
「でも、継続的に使っている中心的な選手たちがいる。混み合うこともある」と利用状況を説明した。
数字上、Trajektの普及によってMLB全体の打撃が大幅に向上したとは言いにくい。カブスが初めて導入した2021年、MLB全体の打率/出塁率/長打率は.244/.317/.411。28日(日本時間29日)終了時点でも.244/.318/.400と、ほぼ変わっていない。2023年には試合時間短縮を主眼にピッチクロック導入、ベース拡大、けん制回数制限などのルール変更が実施され、盗塁や走塁機会の増加も期待されたが、リーグ全体の打撃成績に大きな変化は出ていない。
一方、Trajektを実際にどれだけの選手が使い、どんな目的で利用しているかは分からない。リーグ全体の数字だけでは効果を測れなくても、各球団が理由もなくトレーニング機器として導入したわけではない。効果を実感する選手の声も増えている。
カブスの一塁手マイケル・ブッシュ(28)は今季、左投手に対するOPSを前年から約1割上昇させた。Marquee Sports(カブス戦を中継する地元テレビ局)の取材では、その要因としてTrajektを挙げた。
「Trajektを使い、実際の試合に出なくても試合と同じような打席を経験できたことが大きかった。練習でも実戦に近い回転の球をたくさん見られる。それを何度も見て感覚をつかみ、打ち損じた時も原因を感じ取って学び、練習できた。間違いなく役に立った」と振り返った。
MLBの打者が試合前や試合中に利用するだけでは、Trajektの可能性の一部にすぎない。
ほかにも、次のような活用法がある。
【有望選手の育成】
ベースボールサバントで公開されているStatcast(スタットキャスト)のデータを使えば、3Aとメジャーで打者が対戦する投球の違いを詳しく比較できる。以下は28日(同29日)の試合前時点の数字。
| Pitch Metric | Triple-A | MLB |
|---|---|---|
| 4-Seam/Sinker Velocity | 93.3 mph | 94.5 mph |
| Curveball Vertical Break | -8.3 in. | -10.3 in. |
| Breaking Ball Usage | 31.1% | 30.1% |
MLBの打者が試合前や試合中に使うだけでは、Trajektの可能性を十分に生かし切れていない。
【有望選手の育成】
マイナーでは階級が下がるほど、メジャーで対戦する投手との差が大きくなる。Trajektを使える有望選手は、実戦だけでは経験できないメジャーレベルの投球を事前に体験できる。
「MLB球場に置かれたTrajekt Arcが事業の中心だと思われていますが、実際に利用が急増しているのはマイナー、トレーニング施設、スプリングトレーニング施設です」とフェラビー氏。「うまくなりたいという意欲の強い選手には、とても役立っています」と説明した。
【リハビリの短縮】
スター選手が負傷者リストに入れば、時間はそのままコストにつながる。野手は復帰前に最長20日間、マイナーでリハビリ出場できる。ただ、メジャーとの投手レベルの差があるため、本当に復帰できる状態かどうか、判断が難しい場合もある。
Trajektは従来のリハビリ出場を補うだけでなく、代わりに使うこともできる。ガーディアンズの主力ホセ・ラミレス(33)は左有鉤骨骨折の手術から6週間足らずで復帰した際、マイナーでのリハビリ出場を一度も行わなかった。
「リーグ全体のリハビリ方法を間違いなく変えていると思う」とツインズのデレク・シェルトン監督(56)は効果を語る。
「球速や球の変化を考えれば、特に現在の3Aのレベルでは、メジャーの選手がリハビリ出場するよりTrajektを使った方がいい場合もある。実戦ではないが、3Aで対戦する投手より質の高い球を見ることができる」
【捕手と審判のトレーニング】
現代の投球は球速、変化ともに進化し、打者だけでなく捕手や審判にとっても対応が難しくなっている。さらにABSチャレンジシステム(自動ボール・ストライク判定へのチャレンジ制度)の導入で球審の判定には、これまで以上に厳しい目が向けられる。Trajektは、実戦に近い球を繰り返し確認し、判定に必要な感覚を養うトレーニングにも活用できる。
【オフシーズンの調整】
選手や有望株がシーズン中に長期間離脱した場合、Trajektを使えばウインターリーグに参加せず、質の高い球を相手に実戦的な打席を重ねることができる。
Trajekt誕生時、こうした幅広い活用法までは想定されていなかった。最高経営責任者(CEO)のジョシュア・ポープ氏が10代の頃、ブルージェイズのマーカス・ストローマン(35)の球に当てるまで何スイング必要かと考えたことが出発点だった。その後、ポープ氏とフェラビー氏はウォータールー大学のスポーツ工学の授業で試作案をまとめ、教授から研究スペースの提供を受けて開発を進めた。
そのアイデアはロボットとして実現し、これまでにない勢いで野球のトレーニングに浸透している。ボールを握り、常に主導権を持つ投手との戦いで、打者が完全に優位に立つ日は来ないかもしれない。それでもTrajektがあれば、打者にも対抗する武器がある。
