借金14からV字回復:レッドソックス、ポストシーズン進出を決める

September 21st, 2026

日曜午後遅く、祝勝ムードに包まれたレッドソックスのクラブハウスでは、さまざまな曲が大音量で流れていた。その中でも特に印象的だった曲は、1977年に発表された1曲だった。

ビージーズの「Stayin' Alive」だ。しばらくの間、延々と繰り返し流れているように感じられた。

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最終的にレイズに1-5で敗れた結果は、大きな問題にならなかった。20日(同21日)、試合終了から1時間もたたないうちに、シーズン最初の3カ月の苦境から驚異的な巻き返しを果たしたレッドソックスのポストシーズン進出が決まった。

そこには、どこか因縁めいた巡り合わせもあった。レイズ戦終了後、レッドソックスに必要な結果はただ1つ。ブレーブスがアストロズに勝つことだった。

そこで主役となったのはレッドソックスのレジェンド、カール・ヤストレムスキー氏(87)の孫、マイク・ヤストレムスキー(36)だった。アストロズ戦で1-1の同点から3ランを放ち、ブレーブスを勝利へ導いた。

それから長い年月を経て、今度はもう1人の「ヤズ」がボストンを救った。そして祝勝会が始まった。

その様子を最も端的に表すなら。

レッドソックスの左腕ペイトン・トール(23)は「ビールが大量にありました」と笑った。

シャンパンは至る所に飛び散り、不意を突いて選手たちに水を浴びせるホースまで登場。当然、葉巻の煙もクラブハウスを包んだ。

地区優勝ではなく、ワイルドカードでポストシーズン進出を決めたチームとしては派手すぎる祝勝会だっただろうか。今季の歩みを考えれば、そうではない。

4月26日に10勝17敗だったチームをアレックス・コーラ前監督(50)から引き継ぎ、その後の立て直しを支えたチャド・トレーシー監督代行(40)は「彼らは決して諦めませんでした」とたたえた。

開幕78試合を32勝46敗とした時点で、このチームがポストシーズンに進出すると予想した人はほとんどいなかった。最初の78試合で46敗を喫しながら、最終的に勝率5割を上回ることが確定したチームはメジャー史上初。さらにポストシーズン進出まで勝ち取った。

現在、第5シードにつけるレッドソックスは、29日(同30日)からヤンキースタジアムで3戦2勝制のワイルドカードシリーズに臨む可能性が高い。実現すれば昨季の再戦となる。昨季は初戦でギャレット・クロシェ(27)が圧巻の好投でレッドソックスが先勝したものの、その後ヤンキースが2連勝し、3試合でシリーズを制した。

球界屈指の歴史を誇るライバル対決の新たな一章へ、1週間以上にわたって期待が高まることになる。ただ、この日は直近3カ月で成し遂げた巻き返しを振り返り、喜びを分かち合う一日だった。

5カ月前、クレイグ・ブレスロー編成本部長(46)の決断が正しかったのか疑問視する声もあった。開幕からわずか27試合を終えた4月、ボルチモアでの土曜夜に長年チームを率いたコーラ前監督を解任し、さらにコーチ6人を解任または配置転換する大幅な改革に踏み切ったからだ。しかし、この日を迎え、その決断を悔やんだり、疑問を抱いたりする空気はなかった。

ブレスロー編成本部長は「私たちは、このチームにいる選手たちを信じていました。だからこそ、あの時点できっぱりと決断し、行動することが非常に重要だと考えました。選手たちを支え、力を最大限に発揮できる環境を整えたかったからです。彼らはそれに応えてくれました。このチームに何ができるのか疑問を持った人もいたでしょうが、選手たちは結果ではっきりと答えを示したと思います」と語った。

そうした結果にたどり着くまで、選手たちは結束を崩さなかった。

今季から加入し、すぐにチームの精神的支柱となった一塁手ウィルソン・コントレラス(34)は、チームが巻き返しを始める前にグループチャットへ送ったメッセージを覚えている。

コントレラスは「僕はチームを信じていました。ここにいる全員を信じていました。このチームが今の位置まで来られると、一度も疑ったことはありません。ある時、チームのみんなにメッセージを送って、『自分たちを信じ続けよう』と伝えました。『信じよう』と。それが僕たちの合言葉でした。初日からずっと、その言葉を信じてきました」と振り返った。

信じ続けた先に、この日の現実が待っていた。レッドソックスは夏場、球団史に残る快進撃を続けた。

トレーシー監督代行は「自分たちは本当に懸命に取り組んできました。本格的に勢いに乗り始めた時期はほぼ7月でした。そこから必死に戦い、今の位置まで来た以上、どうやって出場権を決めたかなんて、それほど気になりません。とにかくポストシーズンへの切符を手にしたかったんです」と振り返った。

レッドソックスは数週間にわたり勝利を積み重ねた。巻き返しの出発点は、6月25~28日(同26~29日)にフェンウェイパークでヤンキースとの4連戦を全勝したことだった。

さらに7月3日(同4日)から15連勝を記録。テッド・ウィリアムズ氏(当時27歳)、ボビー・ドーア氏(当時28歳)、ドム・ディマジオ氏(当時29歳)、ジョニー・ペスキー氏(当時26歳)らを擁し、ア・リーグ優勝を果たした1946年のチームが樹立した球団記録に並んだ。

15連勝が止まった後も、間を置かずに今度は9連勝。30試合で27勝3敗という球団史上最高の30試合区間を記録した。快進撃の始まりとなったヤンキース4連戦から数えると、6月25日から8月7日(同26日~8月8日)まで32勝5敗だった。

熱狂的なファンで知られる「レッドソックス・ネーション」が、夏の楽しみを失いかけたと感じていた時期から、スタッフと選手たちは再び熱気を取り戻した。そして、そのシーズンは秋まで続く。

シャンパンが飛び交う中、コントレラスは約90秒間、チームメートに言葉をかけた。

コントレラスは「ポストシーズン進出は、まだ最初の一歩です。みんな一人ひとりを誇りに思っていると伝えたかった。長いシーズンでした。負傷者が出ても戦い、首脳陣の交代も経験しました。それでも自分たちを信じる気持ちは失わなかった。だから今、ここにいます」と仲間に語りかけた。

ビージーズの曲になぞらえるなら、多くの人がもう無理だと思った状況でも、レッドソックスは「生き残る」道を見つけた。